tella Maris 4
ステラ・マリス 4
ガシャリ
ガシャリ
若者は血走った目で、素早く辺りを見回します。
(何処だ、何処に居る?)
ところがいくら目を凝らしても、戦火(いくさび)に煙る景色が広がるばかりで、人影一つ見当たりません。
ガシャリ
ガシャリ
ただ、規則的な足音だけが響いていました。次第に近付いて来るようです。それも、一つや二つではなく、もっと大勢の——
胸を押し潰そうとする暗い圧力に耐えきれず、彼は叫びました。
「どうした? 俺はここに居るぞ!」
叫び乍ら、剣を振るいます。
「いつまで隠れている気だ? 姿を現せ!」
その時、彼は彼方此方で立ち上っている黒煙が、人の形をしていることに気付きました。
一つ、二つ、三つ。
べたべたと煤に塗れた装甲を、ぎしぎしと軋ませて、
四つ、五つ、六つ。
ぞろぞろと這い出ては、じりじりと距離を詰める兵士たち。
七つ、八つ、九つ。
ずきずきと疼く身体に、どくどくと血が流れ——
「解き放て」
再びの声。
「汝が心の影を」
背骨の裏側を、冷たいものが駆け上りました。
(母さん?)
「さあ、剣を持て」
血は噴き出しそうに速く流れているのにも拘らず、手の先は氷のように冷えきっていました。自分の身体すら、まるで他人のもののようです。
そんな彼が頼れるものは、心の底から響く声と、右の手に握った鋼鉄の堅さだけでした。
「敵を斃せ」
彼は弾かれたように身を弾ませました。叫び声を上げ乍ら、異界から這い出してきた亡霊たちに向かって、真っ直ぐに突っ込んで行ったのです。そして力任せに剣を振るい、装甲を叩き潰し、胄を跳ね飛ばしました。
ガシャン
兵士が倒れると、大地にはその影だけが、しみのように残されました。
「斃すのだ」
声は云いました。
「汝が父母を、故郷を奪いし者共を」
それは光の差さぬ深海から沸き立つ泡の如く静かに、
「怒れ、憎め」
落日の後に忍び寄る夜気の如き冷たさを以て——
「汝が心の侭に」
終に若者の心を捕らえてしまったのです。
彼は次々に現れる影を、容赦なく薙ぎ払っていきました。
ガシャン
振るう度、剣は灼けたように紅く光り、彼の右手を焦がしました。
ガシャン
そのうちに、彼は右手の感覚を失いました。まるで、手と剣の境目が無くなったようでした。一体何処までが自分で、何処からが剣なのか——
ガシャン
彼は最後の兵士の喉元を刺し貫きました。
ところが、その兵士だけは実体を失わず、不自然に捩じれた格好で横たわっていました。
倒れた衝撃で胄が落ち、その顔が露になって——
若者は眦が裂けんばかりに瞠目し、大きく開いた喉から、恐怖と絶望を吐き出しました。
虚ろな目で天を見つめる兵士の顔、それは他ならぬ、彼自身のものだったのです。