eremony of coronal
宝冠の儀式

 柔らかな陽の光に満ちた天道院・星堂

 大きな祭壇のある星堂には、多くの人々がずらりと並んでいました。王さまとお妃さま、儀式を司る天導師をはじめ、その弟子たちに廷臣たち、それから心配そうな面持ちの騎士長の姿もありました。
「何をそうピリピリしているのだ、アルサール?」
騎士長の隣で、翡翠の騎士(ヤーデ)の重鎮、シェアトが囁きました。
「おまえまで緊張することはないだろう」
右目に黒い眼帯をした彼は、口元だけで笑ってみせました。しかし、騎士長は表情を変えません。
「胸騒ぎがするのです。師よ、あなたも何か感じませんか?」
「おまえは昔から物事を悲観しすぎる」
「嫌な予感は当たるのです」騎士長は目を瞠り、耳を澄ましたままで答えました。「でも今回に限っては思い過ごしであってほしいものです」
彼の電気石色の瞳は、さざ波立つような星堂の、その中央にたたずむ王子さまを捉えていました。遠くから横顔を見ているだけでも、とても緊張しているようすがひしひしと伝わってきます。
「なに、外れるさ」
シェアトは弟子を安心させようとしましたが、逆効果でした。
「お言葉ですが師よ、あなたの楽観主義もお変わりないようですね」
 弟子の仕返しにシェアトが肩をすくめたそのとき、年老いた天導師が厳かに右の手を挙げました。すると、ざわめきは波が引くように一瞬にして静まり、辺りの空気がピンと張りつめました。
「本日は天翔る白き鳥の国の王子が宝冠の儀式に挑む日である」
天導師の声はさほど大きくはありませんでしたが、天井の高い星堂に朗々と響きます。
「宝冠をここへ」
指示を受けて、弟子の一人が濃紺の天鵞絨(ビロード)に載った宝冠を捧げ持って現れました。
「初めの王より伝えられし宝冠は、その大いなる力を以て王となるべき者を選ぶだろう」
 宝冠を目にするや否や、人々の間からは、ため息にも似た感嘆の声がささやかれました。白銀のように目映く見えたと思えば、白蝶貝のように滑らかに輝き、黒曜石のように冷たく光ったかと思えば、蛋白石(オパール)のようにさまざまに色を変える——そんな宝冠の真ん中には、王子さまの瞳のように深い青色をした、大きな涙型の石がはまっています。
「王子は成人を迎えるに際してこの宝冠を戴き、宝冠と王家を受け継ぐ資質を民に示すのである」
ざわつきが静まる気配がないため、天導師は再び右の手を挙げました。人々はまた口を噤みます。
 場が静まるのを待って、天導師は声高らかに叫びました。
「王子アゼルよ、前へ!」
白を基調とした礼装の王子さまは、深呼吸をしてグッと胸を張りました。そしてゆっくりとした足取りで、深紅の絨毯の上を歩みはじめました。
 人々はそのようすを、なんとご立派なお姿だろう、と息を詰めて見守りました。また、王さまもお妃さまも、我が子の成長ぶりにいたく感動していました。祭壇に向かって一歩一歩、踏みしめるかのように進む王子さまは、とても雄々しく、まさに未来の王さまといった風情だったのですから。
 とうとう祭壇までたどり着いた王子さまは、天導師の前に膝を付き、わずかに頭を垂れると、静かに目を閉じました。途端に胸を打つ鼓動が余計に大きく感じられて、両の手をぎゅっと握ります。
「汝に宝冠と王家を受け継ぐ資質あらば、宝冠は汝の頭上に輝くであろう。しかしそうでなければ、たちまちのうちに輝きを失うであろう」
 最後の文句と共に、天導師は宝冠を王子さまの頭に載せました。人々は拍手の準備なのか、すでに両の手を胸の高さまで上げて、成功の瞬間を待ち望みました。
 しかしこのとき、誰もが予想だにしない出来事が起こってしまったのです。
「なんと云うことだ!」
天導師は我が目を疑いました。王子さまの頭の上で輝いていた宝冠が、見る見るうちに輝きを失って、とうとう真っ黒に染まってしまったのです。と同時に、天窓から差し込む陽の光は重苦しい雲に遮られ、あたりはいっぺんに暗くなってしまいました。
「おお、聖なる光よ! 邪悪なる影から我らを守り給え!」
天導師は天を仰いで祈りました。しかし次の瞬間、鉛のような宝冠が鋭く尖った音を立てて、粉々に砕け散ってしまったのです。またその細かな欠片は、激しく周囲に飛び散り、動揺する人々に降りかかりました。
「殿下!」
騎士長は素早く腰の剣を抜き放つと、飛んできた欠片をなぎ払いました。白く輝く刃にぶつかるや否や、欠片は水のように溶けて床に落ちました。そしてその雫は、無垢な大理石の床に不気味な黒い染みを作ったのです。
「これは……?!」
 騎士長とシェアトが顔を見合わせたとき、方々で叫び声が上がりました。
「何か目に入ったぞ!」
「痛い、胸が痛いわ!」
「耳が、聞こえない!」
中には声なき叫びを上げる者もいました。どうやら声が出なくなってしまったようです。
 一方の王子さまは、一体何が起きたのか飲み込めずに、ただただ呆然と立ち尽くしていました。
(今のは何だ?)
それは宝冠が砕ける直前のことでした。突然頭を締め付けられるような感覚に襲われ、同時に、得体の知れない声を聞いた気がしたのです。
(誰の声なんだ?)
ついさっきまで温かな輝きに包まれていたはずなのに、今はまるで、北の最果て(ポラリス)の猛吹雪の中に放り込まれたような心持ちでした。
(あの、地の底から響くような恐ろしい声は——)
 そのとき、耳に飛び込んだ聞き慣れた声に、王子さまはいっぺんに我に返りました。
「陛下、しっかりなさって!」
それはお妃さまの声でした。すぐ隣では、両の目を覆った王さまが苦しそうにしています。お妃さまをかばって、宝冠の破片を受けてしまったのです。
「父上!」
掠れた叫びと共に、王子さまは二人の元へ一目散に駆け寄りました。
「ああ、アゼル!」お妃さまは王子さまに異変がないか、あちこち確かめました。「怪我はない?」
けれども、お妃さまの言葉は王子さまには届かないようでした。
「私のせいだ……」
癒術師に連れられていった王さまを見送りながら、大粒の涙を流す王子さまを、お妃さまは優しく抱きしめました。
「そうではありません。あなたはとても立派でしたよ。お父さまも、あなたを誇りに思っていらっしゃったもの」
 それでも王子さまは流れる涙もそのままに、声にならない反駁の言葉を心の中で叫んでいました。自分は失敗を恐れてばかりいた。宝冠はきっと、そんな自分の弱い心に気が付いたのだ、と——