黙曜日の午后

 今、僕の視線の先には彼女の横顔がある。
 笑ってる。
 僕は机に頬杖をついてそれを見つめている。

 「どうしたんだよ。ぼぉっとしちゃって」

Kの言葉も上の空で、僕は机に突っ伏した。
頬に触れた机の冷たさが、辛うじて僕を現実に引き止めている。
「……眠い」
「ま、春だしねぇ」
Kはそう云ってふあ、と欠伸をする。
「どうする?」
ぼおっとした頭では彼が何を訊いたのか理解できなかった。首だけ彼の方へ向ける。
「何が?」
「授業。昼休み終わりだぜ?」
「ああ、」
顔を上げると、もうそこに彼女の姿はなかった。
「どうする?」
Kはいやだなぁ、という表情(かお)をした。
「こっちが訊いたんだよ」
「そうだった。次、何だっけ?」
「ニッポン国憲法」
「サボり」
「じゃ、行きますか」
 窓の外は、光の洪水。しかし渦巻く水の荒々しさは、ない。どこまでも透き徹ったやさしい光——前に、どこかで見た気がする。

 中庭のベンチに腰掛けて池を眺める。
水面がキラキラしていて、一寸眩しいくらいだ。
僕らは眠気も手伝ってか口を開かない。

 暫しの沈黙を破ったのはKだった。
「あの娘、好きなんだろ?」
池の鯉が跳ねた。
「えっ?」
Kのにやけた顔。
「さっき見てた」
「ああ……」
そうだ。あの光は、
「笑うと可愛いよな」
「ああ、」
彼女の笑顔に、似てる。
「……おい、大丈夫か?」
僕の目の前で手を振るKは、何故か少し気の毒そうな表情で戯けて見せた。
「大丈夫」
「そ、」
ほら、矢っ張り。Kは正直なヤツだ。何でもすぐ表情に出る。
「……何か知ってるだろ」
疑問ではない。確認だった。
「何かって?」
「惚けるなよ。分かりやすいヤツ」
へへ、とKは眉尻を下げた。
「バレた」
「バレバレ」
そっか、とKは目を閉じた。そして一寸息を吐いた。
「……あの娘、つき合ってるヤツがいるんだよ」
別段驚かなかった。
「知ってたよ」
「そっか」
Kはやるせない、といった苦笑い。
「そっか……」
「別にお前が気落ちする必要はないだろ」
「ま、そりゃそうなんだけど」
また鯉が跳ねた。光を孕んだ水面は池の底までは映してくれない。
「またか」
「また、だな」
足下の小石を投げる。水面に小さな環が出来た。
それは次第に大きくなっていったけれど、消えてしまった。
「春は終わりかー」
「始まったばっかりじゃないか」
「自分の中じゃ終わったの」

 目を閉じると彼女の横顔がある。
 笑ってる。
 目を開けると光の洪水。

 また鯉が跳ねた。

 光を孕んだ水面は、池の底を映してはくれない。

(了)