lind King
盲目の国王

 夜に包まれた王さまの自室

 目に宝冠の破片を受けた王さまは、癒術師(ヒーラ)による処置を受けた後、静かに眠っていました。仄かな明かりの下、実際よりもずっとやつれて見える彼のすぐ側では、付きっきりだった癒術師がうとうとしています。
 そのとき、王さまが不意に目を覚ましました。
「おお、これはひどい……目が焼けるようだ!」
王さまはズキズキと疼く両の目に手を当てながら云いました。一方の癒術師はいっぺんに目を覚まして、ゆっくりとした口調で答えます。
「陛下、あなたさまは御目に宝冠の破片を受けられたのです。他にも廷臣や賓客たちが幾人も苦しんでおります」
すると、王さまは呻くように云いました。
「一体何がどうなっているのだ——ああ、私は随分と眠っていたのだな、夜もすっかり更けたようだ」
彼は体を起こすと、寝台から降りようとしました。
「陛下!」癒術師は慌てて王さまを止めました。「どうか安静に——」
しかし、王さまは聞きません。
「いいや、皆が苦しんでいると云うのに、王たる私がいつまでも寝ているわけにはいかぬ!」
 彼は癒術師の抑止を振り切って、寝台から降りました。そしてこう云ったのです。
「明かりを持て!」
王さまの言葉に、癒術師は絶句しました。すると彼の動揺が伝わったかのように、燭台の火がジリジリと揺らめきます。
「陛下、今何と——?」
焦点の定まらない王さまの目を見た癒術師は、彼の身に何が起きたのか、すぐに察しました。けれどもそれを認めるのが怖くて、尋ねずにはいられなかったのです。
 戸惑う癒術師に、王さまは今一度云いました。
「明かりを持て、と云ったのだ。こう真っ暗では何も見えぬ」
「おお、ディエスよ!」癒術師はすがるような祈りの言葉を口にしました。「我らが王を黒き呪いから護りたまえ——」
ところがその声は奇妙に掠れ、上手く発せられずに消えました。何故なら、壁に映し出された彼の影が大きく膨れ上がったかと思うと、長い腕を伸ばして迫ってきたからです。
「く、来るな!」
癒術師は黒い腕から逃れようと、這うようにして逃げました。けれどもとうとう肩を掴まれたその瞬間、糸が切れた操り人形のように倒れてしまったのです。
「何事だ? 誰か、誰かある!」
癒術師の悲鳴を聞いた王さまは声を張り上げました。ところがおかしなことに、だれ一人として駆けつけてくる気配はありません。
 真っ暗闇の中、王さまは壁に掛けた剣を手探りで探し出し、パッと抜き放ちました。しなった刀身が、おぉんと唸り声を上げます。
「どうなっておる! 誰もおらんのか?」
彼の問いかけに答えられる者は、もはやどこにもいないかのように思えました。いくら耳を澄ましても、何の音も聞こえないのです。
(これは夢か?)
耳が痛くなるほどの静寂——その奇妙な状況に、王さまは思いました。自分はきっと、目の痛みのせいでうなされているのだ、と。いや、ひょっとしたら儀式での出来事も、心配のあまりに見た悪い夢なのかも知れないと……
(夢ならば醒めてくれ)
そう願いながら、今一度呼びかけました。
「誰か、誰かある!」
 そのとき、たった一人だけ呼びかけに答えた者がありました。
「如何なさいましたか、真を見定めし青き瞳の君?」
その声は、地の底から湧いてくるかのような響きを持っていました。
「誰だ?」
まるで冷たい手で胸の奥を掴まれたような感覚に、王さまは振り返って剣を構えます。
(邪悪な匂いだ)
すると、辺りに立ちこめた空気そのものが、笑うように震えました。
「そのようすだと、私の贈り物が効いたみたいだね……」
王さまの目の前、そこには夜で染め上げたような黒衣の女が立っていました。他には何一つ見えないのに、彼女の姿だけが鮮明です。
 「我が民に呪いをまき散らしたのはおまえか!」
彼は闇に浮かぶ白い貌を睨み付けました。美しくはあれど、どこか恐ろしいとさえ感じるのは、そこにまるで生気が感じられないからでしょうか。
「あれはほんの小手調べさ」女は云いました。「小賢しい騎士(ヤーデ)どもを少し脅かしてやったまでのこと」
「何が目的だ?」
王さまは影に負けぬように心持ちを強くしました。
「私の命か? この国か?!」
しかしそれでも、胸に絡みついた不気味な感覚は振りほどけません。それどころか、それはますます強く心を鷲掴みにするのです。
「そんなものは要らないよ」
女はその赤い唇に嘲笑を浮かべて云いました。
「私が欲しいのは、おまえの愛しい妃の命だけ」
「何?!」
王さまは両の目を見開きました。黒い女は彼の目の光ばかりでなく、心の光をも消そうとしているのです。
「なぜだ、何故彼女を?」
 動揺する王さまに、女は憐れむような微笑みを浮かべました。そして影のように音もなく王さまの背後に近付くと、彼の耳元でこう囁いたのです。
「それはね、彼女がヴァルゴだからさ」
「どういう意味だ?!」
相手がすぐ後ろにいると分かっているのに、王さまは少しも動けませんでした。体がまるで鉛のように重いのです。
 黒い女は、そんな王さまの目を覗き込んで云いました。
「ふん、忌々しいほどに青い目だね……あの男を思い出す」
「あの男? おまえは——」
何かを云いかけた王さまでしたが、云うより早く女が長い腕を伸ばして、彼の両目を塞いでしまいました。
「真を見定めし青き瞳の君——その名ももう棄てるがいい」
その途端、王さまは引力に引かれるまま、がくりと両膝を付きました。女の昏い声と激しい両目の痛みが、心と体を縛り付けるのです。
「ヴァルゴ……」
王さまはやっとのことでお妃さまの名前を呼びました。愛する者の名で、悪しき呪いの力を振り払おうとしたのです。
 すると、女は王さまを抱きすくめ、歌うように云いました。
「さあ、心ごと棄てておしまい。さすればもう苦しむこともない」
その姿はさながら怯える子供をあやす母親のようでした。けれども、彼を見つめる二つの冷たい黒曜石の中では、真っ赤な火が燃え盛っています。
「ギャラクティカはもうじき闇に閉ざされるのだ」
闇の言葉は鋭い刃となって、王さまの胸に突き刺さりました。
「おまえの愛おしいこの国も、民も、何もかもすべてがね」
「すべてが——」
王さまの胸の奥底に開いた穴から、喜びや希望が止めどなく流れ出しました。後に残ったのは悲しみと絶望ばかり。そしてそれがあまりに重すぎて、彼の心はついに深い闇の底へ沈んでいってしまったのです。
「おやすみアルビレオ……素敵な悪夢を」
黒い女は満足げに、美しい唇を三日月のようにつり上げます。その彼女の腕の中には、すっかり変わり果てた王さまの姿がありました。そう、鴉の羽のように黒かった髪は雪のように白くなっていましたし、海よりも深い青を湛えていた瞳は暗く濁って、まるで底なしの穴でした。