ark Arena 2
ダーク・アリーナ 2

 女の父親は毎日のように、ふらりと出掛けては強かに酔って帰宅しました。
「お父さん、お酒は止めてって云ったじゃない!」
娘は必死で訴えました。
「もうお金なんて無いのよ! それに、お父さんだって体が——」
「煩い!」父親は酒臭い息を吐き散らし乍ら云いました。「無いなんて嘘だろう! 何処に隠した?」
「隠してなんかいないわ!」
娘は何とか父親を落ち着かせようとします。
「ねぇ、お父さん。私、お母さんに習ったお薬を作ったの。それを飲んだら岐度——」
しかし、父親は却って酷く怒り始めました。
「あいつの話はするなと云ったろう!」
そして、怯える娘に向かって云い放ったのです。
「金が無いなら、おまえを売り飛ばしたって好いんだぞ!」

「父は病に冒されていた。あれだけのお酒を飲んでいたもの、当然ね」
女は良い気味だ、とでも云うように笑いました。
「私は何度も薬を勧めたわ。でも決して飲もうとはしなかった——」

 お金は本当に尽き果てようとしていました。娘は母親の仕事を密かに続けていましたが、母親が魔女として捕らえられて以来、客が寄り付かなくなって仕舞ったのです。
 細々とした仕事を引き受けても稼ぎは僅かなもので、娘は売れるものを片端から売りました。そしてとうとう母親の晴れ着だけが残ったのです。
 ——何時か貴女がお嫁に行く時、これを着なさい。
母親の言葉が蘇り、娘はきらびやかな着物を手に、涙します。
(お母さん、ご免なさい)
彼女は思いを断ち切るように、手早く荷を纏めようとしました。
 でも手放す前に一度だけ、たった一度だけ着てみようと思ったのです。

「まるで自分の為に仕立てたようにぴったりだったわ」
そう話す女の表情は、夢見る少女のそれでした。遠くを見るような黒い瞳は濡れたような輝きを帯び、赤い唇が幽かに弧を描きます。
「得意になって、ひび割れた鏡の前で格好付けたりして」
頷きながら話を聞いていた老婆もまた、つられて顔を綻ばせています。
「よく『母親に似ている』って云われていたことを思い出したわ——」
 しかし、女のうっとりとした表情がいっぺんに曇りました。
「でも、その場を父に見付かって仕舞った」

「未だそんな物を隠していたのか!」
怒鳴り声に、娘は驚いて振り返りました。
「お父さん」
父親の癇癪が爆発しないうちに、慌てて言い訳をします。
「これはお母さんの晴れ着よ。今から売りにいくところだったの。でも、一度で好いから着てみたくて——」
 ところが父親は怒るどころか酷く驚き、狼狽えているようでした。
「何故だ、何故おまえが此処に?」
「お父さん?」
普段は酒に酔って赤い顔が、酷く青ざめていました。
「おまえは連れて行かれた筈だ!」
「お父さん、しっかりして——」
云いながら、娘は思いました。
(きっと、私とお母さんを間違えているんだわ)
病が悪化するにつれ、父親は幻覚や妄想に囚われるようになっていました。娘は母親によく似ていましたし、母親の着物を着ているために尚更重なって見えるのでしょう。
「待ってて、今薬を持ってくるわ!」
 ところが次の瞬間、父親の口から信じ難い言葉が飛び出しました。
「魔女は死んだ筈だ!」
父親は両目が飛び出そうな程瞠目し、目の前の娘を見据えます。
「燃えて、灰になったんだ! なのに何故だ? 何故俺の目の前に居る!」
 幽霊でも見るような視線を向けられた娘は、殴られでもしたかのようにふらふらと後退りました。しっかり立とうとしても、足が云うことを聞きません。
「そう」
恐ろしい程に静まり返った心の底に、小さな泡が立ちました。
「あなただったのね」
憎しみがふつふつと、石炭油のように湧き出し始めたのです。
「あなたが密告したのね!」
そして激しい怒りが、石炭油に火を付けました。