Love sick

 「次の方どうぞー」
やけに甲高いナースの声。私は無機的な白い扉を押し開けた。
「こんにちは」
診察室の中もやはり無機的だった。少しのくすみもない白い壁が眩しい。
 若い男の医者がジェスチャで椅子に掛けるよう示した。縁のない眼鏡の奥には開いてるのかどうかよく分からないほどに細い目。
「今日はどうしました?」
椅子に掛けるや否やお決まりのセリフに、私は待ち時間に頭の中でまとめていた症状を言う。
「あの、最近食欲がなくって……突然胸が苦しくなるときもあります。それに気持ちの浮き沈みが激しくて、沈んでいるときはとことんバイカル湖なみにどん底です。ああ、もしくはチチカカ湖」
一気にまくしたてて溜息を吐いた。医者はふぅん、と息とも声ともつかぬ反応を見せて沈黙した。
 「……あのぅ?」
医者が黙ったままなので、隣のナースの顔を見た。ナースには似つかわしくない派手なメイクに裾の短い看護服。足元はナースサンダルではなく真っ白なハイヒール。
私は来る病院を間違えたのかもしれない。また溜息を吐いた。
「もっと詳しい症状を言いますか? 食欲不振のためか体力もすっかり落ちてしまって、すぐ体調を崩します。あと時には動悸も。それから——」
言いながら途中で馬鹿馬鹿しくなって言葉を切った。
 私は何をしに来たのだろう? こんな藪医者に診てもらったら更に悪くなるんじゃないか? 私はまたもや溜息を吐いた。
 「三回目……」
唐突に医者が口を開いた。彼はズレた眼鏡を中指で押し上げた。
「な、何がです?」
医者は再びふぅん、と言った。眉間に皺を寄せた険しい表情。しかし、それ以上何も言わないので、私はド派手ナースに顔を向ける。
「先生、せんせい! そろそろ患者さんの堪忍袋の緒が切れそうですよ」
別に切れはしないが、早く診察してほしいので頷く。すると、医者は漸く重い口を開いた。
「……病気だな」
ふぅん、と溜息。彼は極細の目で私を見据え、言った。
「あなたは病気です」
まさかおいそれと口にできないような重病なのかと不安になる。医者は私に精神的ショックを与えまいと考えあぐねているのだ。
「び、病気って……そんなに重いんですか?」
声が震えた。鼓動が大きくなる。胸が、苦しい。
 すると医者はカルテに何やら書き付け——ミミズののたくったような字とはあんなのを言うのだろう——彼はおもむろにこう言い放った。

 「病名は……恋患い」

聞いたこともない病気だった。
「そ、それはどんな病気なんです? 治るんですか?」
医者はまたもふぅん、と言って腕を組んだ。
「症状は……人によってまちまちです。やたら燥(ハイ)になる人もいますし、鬱(ロウ)になったかと思えば、行動が少々過激になる患者さんもいらっしゃる」
そこまで言うと、彼は眼鏡を押し上げた。
「治るか否かというのが……一番の問題です。治る人は治りますが、治らない人は治りません。一生ね」
私は絶望のどん底へ突き落とされた気分だった。ハタチにして大病を患うとは。しかも治らないかもしれないなんて、
「どうなんですか? もっとハッキリ言ってください。私は治るんですか?!」
私は固唾を呑んで返答を待った。細目の藪医者は相変わらずの渋い顔で唸った。
「……治る……と言えば治りますし、治らないと言えば治りません。まぁ、あなたの気持ち次第ですよ。『病は気から』って言葉があるじゃないですか」
コレが大病を宣告された患者に対する言葉だろうか? 私は不安を通り越して憤った。
「そんなことを言ってる場合ですか! 早く何とかしてください、お願いします!」
医者はまたカルテに何かを書き込んだ。もうミミズが十匹はいる。
「薬を出しておきます。コレを飲めば悪くなることはないでしょう。この手の病は医者が直すものではありません。私はあくまで手助けしかできないのです」
彼は眼鏡を押し上げた。
「あなた次第なんですよ」
ケバいナースはただ頷くばかりだった。
「とりあえず様子を見てください。もし何かありましたらまた来てください」
 私は診察室をあとにした。そして薬をもらって帰宅した。


 「食後、一回一錠、一日三回」

毒々しいピンクのハート形のカプセル。悪趣味だ。
袋には、「病は気から」とか「気の持ちよう」、「これはよく効く薬」といった言葉が印刷されている。何てヤケクソな病院なんだろう。
 それでも、私はすがる思いでショッキングピンクのハートを飲みこんだ。


 ところが、薬を飲んでいるうちに不思議と体の怠さがなくなった。食欲と同時に、治りそうだという希望も湧いてきた。
 心なしか肌の調子も良いし、今日は明るい色の服を着てみた。気分は上々である。どうやらあの眼鏡医者は藪ではなかったようだ——


 「せんせい? あの患者さんに何の薬を出したんです?」
「ああ……単なるビタミン剤だよ。Cは勿論、B群も完璧さ」
ナースは、まぁ、と大きな口を開けた。
「お肌も綺麗になっていいですね」
藪医者はにやにやと笑って満足げに頷いた。
「恋愛において『思い込み』は重要なキーだよ」
 その時、扉をノックする音が響いた。

 「はーい、次の方どうぞー」

(了)