instrel of Carina
カリナの吟遊詩人
緑の声を持つ彼は、よく歌を歌っていました。
また、時には物語りもしていました。
彼が得意だったのは、<カリナの吟遊詩人>の話——
昔々のそのまた昔。
<幸運ぶ船の国(カリナ)>は邪悪な女公に支配されていました。
美しいものをこよなく愛する女公は、何でも欲しがる人でした。
色彩彩の宝石は勿論のこと、見事な絵画や煌びやかな金細工……
そして時には、誰かの歌声でさえ所望したのです。
それは或る日のこと。
海辺で二人の漁師が仕事をしていると、何処からともなく歌が聞こえてきました。
寄せては返す波たちよ。
この歌声を届けておくれ……
歌っていたのは<水の民(マーリン)>の娘でした。
<弦無き竪琴>を弾く者は、
歌に翼を与えるだろう。
<弦無き竪琴>を弾く者は——
その声は銀河の水より透き徹り、空気のように軽やかに、しかし海のように深く響くのです。
暫しその歌声に聴き入っていた漁師の一人が訊きました。
「おまえ聴いたか?」
するともう一人が答えました。
「ああ聴いたとも!」
二人は顔を見合わせました。
「まるで<光の国(バルステラ)>の歌い手だ!」
歌う娘は忽ちのうちに噂になり、人々は一度その歌を聴こうと集まりました。勿論、女公がその噂を聞き逃すはずはありません。
「娘を此処へ連れて来るのだ!」
彼女はすぐさま家来を呼び付けて、そう命じたのです。
可哀想な娘は、無理矢理に城へ連れ去られてしまいました。
「おまえは今日から私のものだよ」
女公のその邪悪さに、娘は怖ろしくなって逃げようとしました。しかし女公は錫を振るい、娘を海より青い小鳥の姿に変えて仕舞ったのです。
「助けを呼んでも無駄さ」
小鳥の娘は鳥籠に閉じ込められて、来る日も来る日も悲しみの歌を歌い続けました。
それから暫く経った頃、一人の吟遊詩人が城を訪れました。
すると何処からか、この上なく美しい囀りが聞こえてくるではありませんか!
「これほどまでに美しい歌声は聴いたことが無い!」
吟遊詩人は女公の元を訪れました。
「あなたさまの美しい鳥を、是非見せて頂きたいのです」
その吟遊詩人は若くて美しく、女公は一目見るや否や心を奪われました。
「勿論だとも! さあ、もっと近くで見るが良い」
女公は吟遊詩人を鳥籠の近く、近くへと誘いました。あわよくば、この詩人をも虜にして仕舞おうと思ったのです。
しかしその時、小鳥が青い羽を打ち震わせて、悲しい声で歌いました。
ここの女公は悪い魔女。
早く遠くへお逃げなさい。
さもなくば、哀れあなたも籠の鳥!
それを聴いた吟遊詩人は云いました。
美しく聡明な女公さま。
彼女に自由をお与えください。
さもなくば、いずれ彼女は死の虜!
すると女公は云いました。
ならば<弦無き竪琴>を弾いてみよ。
弾けたら飛び立て何処へでも。
さもなくば、哀れおまえも籠の鳥!
その名のとおり、弦の無い竪琴を前に、吟遊詩人は困り果てました。
「期限は夕陽が沈む迄だ」
それまでに竪琴を弾けなければ、自分も鳥にされて仕舞うのです。
途方に暮れた吟遊詩人は、日暮れの迫った静かな海へ向かいました。
「あの娘を助けなければ。でも一体如何すれば?」
すると水面がざわめき、幾つもの声でこう云いました。
悲しまないで詩人さん。
教える通りに歌ってご覧。
そうすれば、弦は自ら身を震う!
吟遊詩人は<弦無き竪琴>の前に波が教えてくれた通りに歌いました。
風の丘の旅の民は、
凍える北から温む南へ。
長く辛い旅路とて、
歌を歌えば心は躍る。
焚き火を囲みて琴を取り、
弦爪弾けば心は弾む。
歌に翼を鳥には空を、
魚に水を人には愛を。
その緑の歌声は何処からともなく風を呼び、<弦無き竪琴>は見えない弦を震わせて、この世のものとは思えない音色で歌いました。
「そんな馬鹿な!」
負けた女公はいっぺんに力を失い、青い小鳥は美しい娘の姿を取り戻しました。同時に<弦無き竪琴>は光に包まれ、一人の女性の姿に変わりました。それは女公に封じられていた<大いなる河の主(アケルナ)>だったのです。
「我らの救い主よ、望みを一つ、叶えましょう」
吟遊詩人は云いました。
「姫君をどうか私の妻に」
河の主は云いました。
「娘が良いと云うならば」
そうして二人は結婚し、美しい海の見える地で心静かに暮らしました。
めでたしめでたし詩人さん。
我らの妹をどうか幸せに。
さもなくば、哀れおまえは海の沫(あわ)!
穏やかな波は、人知れずそう歌っていたそうな——
「それで……二人はずっと幸せに?」
「もちろん幸せに暮らしましたよ」
「どうして知っているの?」
緑の声を持つ彼は、笑ってこう囁きました。
「私は二人に歌を教わったからです」
彼が得意だったのは、<カリナの吟遊詩人>の話——
Ubi spiritus est cantus est.
魂あるところに歌あり。